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    最も古い印鑑

    世界で最初に使われた印は紀元前4000年頃のメソポタミア文明時代とされ、その後印章はシルクロードを渡り、紀元前1400年の殷の時代に中国に伝わったとの記録があります。 では日本で印鑑が使用されるようになったのはいつ頃からからなのか。発見された文献を見ても印鑑の使用を裏付ける資料がまた見つかっていないので、日本における印鑑がいつから始まったのかははっきりとはわかりません。しかし、現存する印鑑で最も古いとされているのは、国宝指定扱いされている「漢委奴国王」の金印とされています。1784年(天明4年)、現在では福岡県福岡市東区志賀島となっている「筑前国糟屋郡志賀島」で発見されたものです。後漢の光武帝が中元2年(57年)に日本の「倭奴国」に金印を授けたと「後漢書」には記録されていますが、この記述は「漢委奴国王」のことを指しているという説が有力です。

     

    印鑑制度の出発点

    役所で使用される印の制度が本格的に整備され始めたのは奈良時代、701年:大宝元年に律令制が整ってからだと言われています。 この当時、使用された印鑑は律令に定めた公印のみで、原則的に私的な印鑑の製造と使用は固く禁止されていたようです。 時は移って平安時代、当時の藤原氏の私印が多数発見されたことから、貴族にも私印の使用が大々的に認められるようになったと推測されています。 一方庶民はまだ印鑑を使うことができず、離婚の届け出や売買証文などには氏名を使ったサインを署名し、文字を書くことができない人は指で点を打つ「画指」という方法が用いられていたとされています。

    花押

    平安時代中頃から終わりにかけて官印がほとんど使われない時代があったようです。 官印が陰を潜めた時期は「花押(かおう)」が官印の代わりに広く用いられることになりました。花押は領主や公家、他には戦国武将が主に用いり、通常庶民は印鑑がないため拇印や爪印を文書に押していたとされています。

    武将の印

    平安時代から更に時が流れて戦国時代、武将達の印鑑は花押でしたが、これと併用して私印を用いるようになります。印文にも各武将毎に特徴のある趣向をこらし、自分なりの権力や威厳を表現しようと工夫していました。有名な武将を挙げるとすれば、織田信長の「天下布武」の印、上杉謙信の「地帝妙」や信長の側近だった豊臣秀吉では「豊臣」の印などそれぞれ違った表現で印文が書かれています。他には、徳川家康の「福徳」の印は特に有名です。

    今現在の印鑑制度

    元々は上流貴族などの特別な続柄の者しか使えなかった印鑑ですが、時代が移り変わるとともに庶民の生活にもだんだんと浸透していくようになります。そして1873年(明治6年)の10月1日、明治時代初期の法令である太政官布告(だじょうかんふこく)が敷かれたことで、署名と実印を併用する制度が定められました。これ以降10月1日は「印鑑が正式に市民権を得た日」として記念日して、「印章の日(印鑑の日)」と定められることになりました。

    記念日:印章の日

    先に述べた通り、現在の印鑑制度は明治6年10月1日に施行された「太政官布告」による個人の実印制度から始まったものです。昭和42年に印章業を専門とした業者のただ一つの公式団体である「全日本印章業組合連合会」で、10月1日は「個人の実印制度」が施行された日として「印章の日」と決めました。各地域・地方の印章業組合ではこの10月1日の前後日に、日頃世話になっている印章への感謝の気持ちを込めて供養する「印章供養祭」を行っています。また、印章業を生業とするものとして社会生活における重要な道具であり、時には人生を左右する印章を粗末に扱わないようにすること、印鑑における人々の安全と信用を守り保つという誓いを込めて印章を彫刻する日となっています。

    Valuable information

    最終更新日:2014/10/23

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